2018 夏の出来事 その5 停電で得たこと
こんにちは、モギコです。
夏の停電のまとめです。その時のメモ書き的なもの。
今回の停電では、いろんな人の知識や助けを借りて復旧までたどりつきました。
私の知識では全然追いつかなくて、オフグリッドのコミュニティで諸先輩の力を借りまくりました。
たすけてほしいときに『助けて』って言える弱さと強さを持つこと。
自分でできることなんて知れてる、それが分かってれば助けてもらうことに躊躇いはなくなるかも。
そして、助けてくれる人はいる。必ずいる。そういう社会を信じる強さ。
とかく、現代は自分でどうにかしようと頑張る。
自分が頑張れば改善する、と思ってしまう。
自己責任、と言う言葉が蔓延してどんどん自分を追い込んで、助けてってほんとに言えない。
私は特に子育てでそれを思っていました。一番苦しい時に助けてって言えなかった。
自分の生活を支えるものに対して、お金を払ったらどうにかなると思ってしまう。
そこがエスカレートして、お金さえ払えばどうにかなるとまで過信してしまう。
だから苦しい人ほど切羽詰まってるときほど、お金に固執するようになってしまう。
でもね、お金でどうにかなることは多いけど、実際本当に苦しいときややるせない時にお金で解決できることは少ない。
震災の時、必要なもの欲しいものは売ってなかった。売ってないものは買えない。
これは売れないってなったら、手に入れる手段が分からなかった。
私の場合は、安心して口に入れることのできる食材が欲しかった。でも売ってはなかった。
売ってないけど、持ってる人はいた。そんな人たちが、くれた。
この時も思ったけど(お金なくて困り果てていた時期だったけど)
お金に価値を見出すのは違うんじゃないか。
どうしようもない時に、自分自身が救われたと感じるのは、
今回のことをもそうであったように、思いを持つ人のその『思い』の部分によるところが大きい。
友人だったり、全く面識のない人だったり、私との関係は様々だけど、
共有した時間だったり、同じ思いで何か同じことをしていたり、
それが『助けて』って言うことで、ばばばばーーー!!っと繋がって
物理的に助けてくれることになった。
この恩は絶対忘れない。もし今回助けてくれた人たちが困って助けてって言ったら
私が出来ることならなんでもする。
でもね、何にもできない場合だってある。
その時は多分ほんとうに何もできない。
だから、他の人が助けてって言った時に、私が出来ることをする。
恩は巡る。縁で巡る。
直接じゃなくても絶対どこかで巡る。
分かち合えるものを、少しずつどこかで分け合う。
分かち合える人がいる、と信じれること。
こんなヘンテコな世の中だけど、全員がヘンテコな訳ではない。
少なくとも同じ思いを持つ人がいる。
助けてって声に出すことを怖がることはない。
人に助けを求めることと依存することは別物。
『助けて』って言うの大事。
言える家庭にしたい。そんな社会にしたい。
夏の停電シリーズはこれでおしまい。
モギコの経験値が1上がった。
モギコでした。
《昨日の晩ごはん》
・生ほうとうの煮込みうどん。
家族がみんなして少しずつ体調が悪い。
普段なら冷あつうどんだけど、珍しく煮込み。